韓国旅情
残暑にも 韓国の旅 胸おどり ひろし。
月・水初級2班 小川弘
私達は、近くて遠き国、韓国でしたが、今では、近くて近き国、韓国となりました。政治、経済、文化あらゆる面において、隣国 韓国は何かにつけて、私達の最大の関心事となっています。そんな身近な韓国へ、私達、名古屋韓国学校の学生は、8月26日から三泊四日の修学旅行に出発しました。
さて、韓国は日本と同じ温帯で、四季がはっきりしています。国土は韓半島22万平方キロメートルの南部分45%が大韓民国です。そして、国土の70%が実に、丘陵と山岳地帯です。人口は2006年10月現在約4728万人で、ソウルには総人口の約4分の1が集中しています。私達 修学旅行生は引率責任者の尹大辰校長先生 旅行会社の添乗員さんを含めて男性9人、女性21人、総勢30人が、名古屋セントレア空港から九時30分に定刻通り釜山に飛び立ちました。機内では、名古屋韓国学校の仲間意識からか、学生さん達の楽しい会話が弾みます。
私もおもいっ切り隣席の人とお話しをしました。お話しが盛り上がったところで、「まもなく、釜山空港に到着します」の機内放送があり、やがて、私達を乗せた機体は滑るようにゆっくりと釜山国際空港に到着しました。到着時刻は、11時05分。僅か1時間35分の飛行機の旅です。空港ターミナルには、一足先に来ていた金由那先生、これから4日間お世話になる世一観光のガイド 金 英姫さんが私達を出迎えてくれました。どこに行っても出迎えてくださる人がいることは嬉しい旅の始まりですね!
さて、人口約380万人の韓国の南の玄関口、釜山は、開放的な港町気質の人が多いことでも知られています。そして、釜山と言えば、やはり、チャガルチ市場が有名ですが、残念ながら、今回の修学旅行の目的は、1592年4月釜山城を落として、豊臣秀吉が朝鮮侵略戦争を起こした文禄・慶長の役(朝鮮では壬辰・丁酉倭乱とよぶ)の悲しく、苦しく、そして、沢山の犠牲者を出した舞台となった遺跡を訪ねる旅ですから、昼御飯を釜山では、早々と終わると、歴史と文化の都市 晋州へ向けての1時間30分のバスの旅が始まりました。高速道路を走るバスから見る風景は、日本の風景とだぶって見えます。幾重にもつながる山間に広がる緑の稲穂。美しい赤い百日紅の花。端正な白いムクゲの花。目を閉じて、開けば日本と見間違える風景。一体、この国は何なんだろう?と不思議な気持ちになります。
やがて、私達を乗せたバスは、ゆったりと流れる美しい大河 南江を渡ると、左前方の絶壁の上に巨大な晋州城が姿を現しました。城壁の中は広く、青い芝生が植えられ、赤い百日紅の花が咲き、カッチが飛び立ち、ちょくせき楼では沢山の人々が休み、明るい会話が弾みます。眼下に南江が何事もなかったようにゆったりと流れています。こんな平和な場所で、かって、第二次文禄の役(韓国では壬辰の倭乱とよぶ)で約7万人もの韓国の人々が犠牲になったなど と想像できるでしょうか!でも、現実に京都市に、韓国人犠牲者を祭る慰霊碑の耳塚が残っているのですから、避けることのできない史実なんですね。(第二次侵略戦争の慶長の役)私は思わず、両の手をあわせていました。こうした悲劇的な出来事を、国立晋州博物館のパンフレットは、壬辰倭乱は、誰も目的を果たせなかったむなしい戦争であった、と言っています。
そして、私達は、初めての韓国の夜をこの悲劇の町で泊まることになりました。その夜、私達は、金由那先生について、イルミネーションに色採られた美しい南江を見ながら、1000年以上続く古い街並みを散策しました。途中、私達が話しかける会話に韓国のおばさん達は本当に親身になって、答えてくれました。私達は、ますます韓国が好きになって、さわやかな気持ちでホテルに引き上げました。いつまでも 花を咲かせよ 白ムクゲ ひろし27日。私達は、トースト コーヒー サラミ ポテトの朝食をいただき、ホテルを8時半に出発しました。美しい南江の流れにさようならをしながら、晋州ビビンバで有名な村を過ぎて、バスは高速道路をひたすら走ります。やがて、1時間半で文禄の役(朝鮮では壬辰倭乱と呼ぶ)の激戦地・麗水(ヨス)に到着しました。
私達は、麗水港から観光遊覧船に乗りました。ここは、多島海海上国立公園と言われるだけに千態万象の大小の島と奇巌怪石が点在しています。真っ青な空と海。観光遊覧船は私達にさわやかな風を運んでくれます。こんな平和な海上で、文禄・慶長の役(壬辰・丁酉の倭乱)が起こったことなど、考えられるでしょうか?李舜臣将軍率いる亀甲船・外側を鉄板でおおい、やりの穂先のように尖った鉄棒を植えこんだ船の朝鮮水軍は日本水軍を破り、補給路をたち、戦争を有利に導いた、と言われます。そんな激戦の応時を語るかのように、港に亀甲船(コブク船)が繋がれていました。近くの鎮南館も、そのとき、焼失したと、麗水市老人福祉館 5人の文化財解説チームの人達が流暢な日本語で、話された時、私は、申し訳なさで、心が痛みました。一緒に写真を撮ることで、許してもらおうと、思いました。
次に、私達が訪ねたところは、あの有名な韓国ドラマ「チャングムの誓い」のロケ地にもなった順天市の楽安邑城民族村でした。ここは、1410メートルの城郭を持った町全体が史跡に指定されています。朝鮮時代の役所、城、客舎、民家が良い状態で保存されており、歳時風俗と通過儀礼などと言った伝統生活文化を守ってきた住民が現在も自ら住居している村です。私達は、村の中の扇風機が勢いよく回る食堂でチヂミをご馳走になりました。私達は、村内を思い思い散策しました。それにしても、このような城壁に囲まれて、生活しなければならなかった韓国の人達は、さぞかし大変だったろうと、思う時、私は平和の大切さをしきりと思うのでした。そんな感慨にふける私を追い立てるように、バスは私達を乗せて、次の目的地の南原に向けてひたすら走りだしました。それにしても、私達のバスのドライバーさんの安全運転の技量の高さに感謝しました。
遅い昼ご飯の山菜定食を食べて、出発する間際に、ソナギ・夕立にあったりしながら、私達は午後4時頃、韓国古代小説の代表作で、両班(ヤンバン)の息子と妓生(キーセン)の娘・春香の恋物語の舞台となった広寒楼苑に到着しました。広寒楼苑は宇宙を象徴して造られた韓国の代表的な庭園です。私達は同行したプロカメラマンさんに美しい広寒楼と愛の橋をバックに記念写真を撮ってもらいました。でも、この愛のテーマ・シティ、南原で、私達は丁酉再乱(慶長の役)当時、親兄弟、恋人と引き裂かれて、南原城から異国の日本に連れ去られた陶工達がいたことを私達は 決して忘れてはならないでしょう。その後、私達は、コツジャン村を通って、朝鮮時代の文人・梁山甫の広い庭園のある旧宅に立ち寄った後、遅い夕食を食べて、光州のホテルに到着した時は、8時半を過ぎていました。
それから、私達は、金由那先生にご無理をお願いして、3台のタクシーに分乗して、光州の繁華街に繰り出しました。もちろん、目的は、韓国語を少しでも勉強するためでした。私達のグループは、靴を安くしてもらいました。これも韓国語が話せたおかげだと、皆で、喜びあいました。分かれた他のグループも、いろんな買い物を安く買われたようでした。そんなこんなで、光州の夜は楽しく無事に終わりました。 28日 今朝は、ゆっくり出発の予定が、尹大辰校長先生のご提案で、急遽、ホテルを早目に出発することになりました。出発のホテルのロビーでは、ペ・ヨンジュンロケ地撮影に参加する沢山の日本人ツアーの人達とご一緒して、私は、今更ながら、韓流ブームの凄まじさを体験することがてきました。
でも、私達は、民主・自由・正義の生きた教材と言われている5・18民衆抗争事跡地を訪ねる厳粛な旅なんですね。私達を乗せたバスはホテルからほどなく5・18墓地に着きました。ガイドさんから説明を受けてから、校長先生の黙祷の声で、私達は1分間の黙祷をしました。墓地の正面の高さ40メートルの5・18民衆抗争追慕塔が事件の悲しさを象徴しているかのようでした。私達は思い思いの悲しみを持って、ほとんど私語する人はいませんでした。礼拝を終えて帰り際、私達は前も見えないくらいの激しいにわか雨にあいました。墓地で眠る人達が、私達との別れに名残を惜しんでくれたのでしょうか?いや、少なくとも、私は名残を惜しんでくれた、と思いました。私達は、5・18墓地に名残惜しむかのように、最後の目的地・ソウルに向けて、光州空港から、11時30分 金浦空港に飛び立ちました。
いつ、乗っても飛行機は夢のある乗り物ですね!楽しいの一語です。12時25分金浦空港に無事に着きました。ロビーでは、私達のお世話をしてくださる世一観光の人達の出迎えを受けて、すぐ、バスに案内してくださいました。こんな手際の良い応接は、本当にありがたいですし、嬉しいですね!韓国が好きになる人が多いのは、こんな親切を心からしてくださる国民性によるからでしょうかね。さあ、いよいよ、眠らない都市・ソウルに私達は着きました。ちょっとした息苦しさと、韓国の田舎の良さを体験した文禄・慶長の役(壬辰・丁酉の倭乱)の遺跡巡りを心の片隅にちょっと預けて、買い物でも、と解放感に浸ろうとする私は、楽しさいっぱいです!そんな楽しい雰囲気の中で、尹大辰校長先生のお話しがありました。「みなさん、修学旅行に参加してくださいまして、ありがとう!今度の旅行は、南海岸中心に見学して来ました。李舜臣将軍の活躍した時代を思い返しながら、日本と韓国との友好な関係を増進しなければならない、という思いを再度痛感した旅でした。みなさんと共に、こんにちの旅行を通して平和の大切さを噛みしめながら、みなさんが民間文化大使としての役割を果たしてくだされば、幸いでございます。そして、そのためにも韓国語の勉強をより一層頑張ってください。」校長先生のお話しが終わるのを、さも待っていたかのようにバスは昼御飯の食事処に着きました。
そこで、豪華なテンジャンチゲで腹いっぱいになった私達は、韓国旅行最後の宿舎となる世宗[セジョン]ホテルに到着しました。世宗ホテルは、ソウルの銀座と呼ばれています明洞〔ミョンドン〕の一角にありますので、大変便利なところなんですね。さて、明洞は、いろんなお店が立ち並び、必要なアイテムと予算に合わせたショッピングやグルメが思う存分楽しめますから、日本人には、人気のスポットになっています。私達は、ホテルの部屋で、寛いでから、思い思いのグループに分かれて、ソウルの街へ繰り出しました。演劇、ショッピング、観光、そして韓国語の勉強。夕御飯を兼ねての自由時間ですから、どの顔もどの顔も、楽しさいっぱいの笑顔です。私は、韓国語がダメですから、一人置いてきぼりをくったら、どうしょうかしら?と、心配していましたが、幸い仲間に誘っていただきました。こればかりは本当に嬉しかったですね。旅の思い出が倍増する気持ちになりました。私達のグループは、明洞から南大門市場へ歩きました。南大門市場では、できるだけ韓国語で、買い物したり、食事をしたりしなから楽しみました。一服したところで、世界中の国々から都市再生のお手本だと、言われている清渓川(チョンギェチョン)へ行くことになりました。
清渓川は、1970年代に埋めたてて、道路を作り、さらにその後、その上に高架道路を作りました。これを撤去して、2005年10月、全長5・8キロの美しい清渓川のせせらぎが甦ったのでした。涼しげな流れに沿って散策するように、川辺は、ライトアップされてソウル市民の憩いの空間になっています。そんな素敵な雰囲気のところへ歩いて行くことになりました。さあ、場所から、行く先の道順を聞くのにも大変ですね!それも歩いて行くのですから、もう、私は、うまく韓国語が話せないものだから泣きたくなりますわね。くたびれて、くたびれて、もうだめかと、言う時にやっと、ライトアップされた美しい清渓川に到着しました。到着した時は、もうみんなで喜びあいました。清渓川は確かに心が落ち着く優しい空間でした。みんなそれぞれの楽しい思いで、寛いでいます。暑いためか、川に足を浸けている人、ギターで音楽を演奏している若者、抱き合ったままの若い男女、勤め帰りの会社員、アイスクリーム売りのおじさん、似顔絵を書く若い女性。みんな楽しくって仕方ない顔の人達ばかりですね!私は、もうくたびれ果てて、いつまでも、椅子に座っていたい気持ちですね!帰りは、地下鉄で帰ることなりましたが、駅を聞いたり、きっぶを買ったり、乗り換えたりしました。韓国語ができる方達と一緒ですから、私は本当に韓国語の勉強になりましたね。お腹が空いた私達は明洞でお粥を食べてから、世宗ホテルに着きました。私はお礼を言って、それぞれの部屋に別れました。
29日。 さあ、もう韓国を去る最後の朝です。疲れの残っている私は、同室の男友達の元気さに発奮して、朝のバイキング会場に行きました。レストランは、私達のような日本人の団体さんで満員です。韓国旅行の日本人がいかに多いか、よくわかりました。食事を終えると、私達は迎えのバスに乗りました。来た時と違って、私達は沢山の重い荷物を持っていますが、ドライバーさんは、嫌な顔ひとつするのでもなく、優しく手伝ってくれました。もう、びっくりするような渋滞と車の洪水のなか、ソウルの街中へ、バスはゆっくりと割って入って行きました。厳重な警備をしている青瓦台をゆっくり車窓から見ながら、昌徳宮に着きました。韓国ソウルに行ったら、一度は訪れる世界文化遺産の宮殿です。うっそうと大木が茂り、谷や池、川などが自然そのままに配置された庭園が美しいと、言われます。お面白い日本語のガイドさんの案内は笑い声が絶えず、なかなか好評でした。
次は、韓国の伝統的な生活文化を総合的に見ることができる国立民族博物館に行きました。ここでは、韓国という国を理解するのに大変勉強になりましたね。韓国最後のお昼ご飯は参鶏湯でした。私達はおいしい韓国料理をいただいてから、仁寺洞に移動しました。仁寺洞は、骨董品や画廊、茶道具店、木工・紙工芸品店など、古き良き香りに満ちた楽しい通りです。少ない時間でしたが、私達は思い思いに散策しました。どこを歩いても不思議な魅力に満ちた街・それが韓国ではないでしょうか?そんな感じがした修学旅行の旅であったような気がしました。最後はお決まりの?韓国食料品店に立ち寄って、仁川国際空港に着きました。時間は定刻通り、つつがなく無事に16・30分です。私達は一生懸命に骨身惜しまず頑張ってくださった世一観光一番の超売れっ子ガイド・流暢に日本語を操る美人で知的な金英姫さんや親切なドライバーさんに来年もお会いしましょうねと、最後のお礼の挨拶と握手を交わしながら私達は空港内に入って行きました。
やがて、18・50分私達を乗せた大韓航空機は大爆音を響かせて仁川国際空港滑走路を勢いよく飛び立ちました。機内の窓からは明るい光りに照らされた美しいソウルの夜景がおとぎ話の国に行ったように見えました。私は、来年も来たいけれども、来れるかしら?と思いながら、スチュワーデスさんの美しい韓国語で流れる声を子守唄に聞きながら、私はいつしか深い眠りについていました。ところで、今回の修学旅行で、私が韓国から見た文禄・慶長の役は韓国の多くの町に本当に沢山の悲劇的な爪痕を残していました。日本を統一した三英傑の一人と言われる豊臣秀吉は、「時世、時世の華飾れ」、と時代の流れを読み取る天才的な英雄だと言われますが、韓国に残した侵略戦争の無惨な史実と遺跡を見る時、私はなんともいいようのない悲しみが込み上げて、愕然としたことを覚えています。私は今も、夜8時を廻る頃になると、[韓国から名古屋セントレア空港に帰る旅客機が飛ぶ時刻]私の住む町の上をライトを点滅させながら低空で北から南に飛ぶ旅客機を見るたびに、いつまでも、いつまでも、いつまでも日韓の平和の灯が消えませんように祈りながら、楽しかった韓国の修学旅行の旅を懐かしく思うのでした。
おしゃれ町 秋の明洞 懐かしや ひろし